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執筆者の写真Atsushi Hagino

「中国屋兼タイ屋」のラオス探訪記(その2)

6. 中国そのもの!―ヴィエンチャン駅


 さて、青年僧たちと別れた筆者は、是非一度見たいと思っていた中国からの高速鉄道の終着駅であるヴィエンチャン駅に行きました。ヴィエンチャン駅は、市内からは北東にかなり外れたところにありますが、配車アプリで車を呼べば、さほど不便を感じることなく駅に着くことができました。

 それにしてもこの駅、とにかくでかいです。そして、床に使用しているタイル、構内放送、旅客の導線、そして改札システムに至るまで、ラーオ語が併用されていることを除けば、中国の地方の高速鉄道駅そのものです。ちなみに筆者が駅に到着して間もなく、最終発車便である15時半発のルアンパバーン行きが出発し、広い駅構内は入口に鍵もかけられてがらんとした状態になりました(筆者は、改札ではなく横の商店エリアにしばらくいて、駅の構内を見ていました。)。


 その後、16時半ころに到着した列車を受ける乗り合いタクシーで市内に戻りました。横に停まっていた別方面行きのバスは、日本のJICAによる援助によるものでしたが、すでに相当長いこと使われてきたようで古さを免れず、まっさらなヴィエンチャン駅と微妙なコントラストをなしていました。


7.  援助と「見せ方」、あるいは「魅せ方」―日本人の「美学」との緊張関係


 このように、一帯一路の最前線とでもいうべきラオスでは、あちこちで中国の圧倒的な影響力をまざまざと見せつけられた、というのが、今回のヴィエンチャン訪問の最も強烈な印象でした。

 ところで、我が国は、このようなラオスの状況をただ指をくわえて見ているだけなのでしょうか?…その答えは、「否」です。JICAのウェブサイト等を見ていると、日本もラオスに対して非常に多岐にわたる支援を行っており、とりわけ我々の業界では法整備支援も行ってきたことも有名な話です。また、ヴィエンチャン国際空港(ワットタイ国際空港)の空港整備事業などは、多くの人が使う公共施設であって、日本のラオスに対する援助の代表として挙げることができるでしょう。そして、そのような施設には、必ずといっていいほど日本の貢献を示すプレートや碑が掲げられており、ラオス人の対日感情も全く悪くありません。

 ただ、このような日本の幅広く、客観的に見て高い評価に値するというべき貢献も、中国の援助の「巧みさ」の前に霞んで見えてしまう、というのも、非常に残念ながら事実として存在することは確かです。「初の」高速鉄道の駅であるヴィエンチャン駅、ラオスのシンボルといっても過言ではない凱旋門周辺の整備、大学における孔子学院での教育…、どれもこれも、ポイントをきっちり押さえてラオス人の目を中国に向けさせて余りあるプロジェクトのように思えました。

 また、細かいところでは、既に述べたように、比較的新しいBYDのハイブリッドバスとずっと前に提供されて使い古されたJICA提供のバスとでは、見る者をしてどのような印象を与えるかは、いうまでもないと思います。すなわち、特定のモノ(例えばバス)を提供したとしても、これを普通考えるよりも速いペースで定期的に新しいものに更新するなどという「見せ方」も必要なのではないかと感じた次第です。

BYD製中古バス。エアポートバスとして使用
BYD製中古バス。エアポートバスとして使用
JICA援助のバス。ヴィエンチャン駅にて撮影
JICA援助のバス。ヴィエンチャン駅にて撮影

 もちろん、日本と中国とでは、ラオスの地政学的重要性に大きな差があり、そこに投下できる資金にも差が生じざるを得ないことも確かでしょう。また、がっつり日本を前面に出したソフト・ハードを「見せつける」ことは、真のラオスへの貢献とはいえずみっともない、という日本人ならではの美学もあると思いますし、もちろん日本人の端くれである筆者もそのような考え方にシンパシーを覚えます。

 しかしながら、現実として、ヴィエンチャン駅に代表されるような、それが100%自国様式であるとしても「とんでもないもの」をつくってしまう国が存在する、という現実の中で日本という国をどう見せる(魅せる)か、というのは非常に悩ましい問題だと思います。

また、政治的動機が大きい援助の場合には、その政治的動機が薄れたり、国内事情により援助ができなくなったりした場合には援助が突然途切れることも十分想定される一方、日本のスタイルの援助は、その持続性は確保されやすいのかもしれません。日本は、そのような地道な、粘り強い援助を続けていくしかないのかな、とも思います。更にその上で、見せ方にもう一工夫あればな、と思うのですが…。


8. 幸せって何だろう…


 ともあれ、一帯一路の最前線における中国の影響をあちこちで見せつけられた日曜日の夕方、筆者は、食後にメコン川沿いの夜市を散策しました。そこには、20年以上前の中国の地方都市をどこか彷彿とさせるような遊園地もあり、また、店にはたくさんの服や食べ物が売られています。ヴィエンチャン市民は、そんな夜市で思い思いに遊具で遊び、ショッピングをするなど、みんな楽しそうです。

 ラオスは、客観的には決して豊かとはいえる国ではありません。また、歴史をたどれば周辺国や列強からの様々な圧迫を受け続けており、今や中国の影響が最大であろうことはこれまでも述べてきたとおりです。でも、人々は一様に穏やかで、今をしっかり生きているような、そんな気がしてなりませんでした。そして、そういうラオスの人々に、とても好感を抱きました。

 何をもって幸せというべきか…。メコンの夜風を頬に感じながら、筆者は思わずそんなことを考えずにはいられませんでした。



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