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中国における「ネットワーク安全審査弁法」の発布Part 2:弁法制定の背景事情から見る中国

更新日:2023年7月21日


今回も、前回に引き続き、「ネットワーク安全審査弁法」(中文:网络安全审查办法。以下「本弁法」といいます。)についての記事となります。前回(Part 1)は、規定の概要を説明したものですが、それ自体日本企業・日系企業がかかわる場面は決して多くないと思われ、あまり面白味がない内容に終始しました。書いている私としても、正直そんなに面白いものではありませんでした。

それでも本弁法を取り上げる意義があるのは、むしろその制定の背景事情が中国の「今」を知る上で興味深い素材だと考えるからです。

今回は、そういった内容を見ていきましょう。


1 中国のサイバー政策の基本姿勢


(1) 「個人の人権保護」よりも「国の安全保障」

ネットワーク上の情報については、近時、個人情報の保護という観点から各国がこれに対する法律を制定しています。このうち最も有名なのがEUの一般データ保護規則(GDPR)であり、その目的は、個人の人権の保護の最大化にあるといってよいと考えます。GDPRには、EU圏外へのデータ移転に際して当該移転先の国におけるGDPR並みの法整備を求める(十分性認定)に象徴されるような、いわばGDPRの理念のグローバル化を志向しているといっても事項を含んでおり、「EU式の情報保護政策」を一種の国際戦略としているかのような印象すら与えます(それ自体、他国にとっては大きなお世話ともいえますが。)。そして、そのあおりを受けるかのように、近時各国ではGDPRに即した形での個人情報保護法制を設ける国が現れてきており、タイなどはその典型であるといえます。

ところが、中国においては、長年一般法としての個人情報保護法の制定が議論されつつも、今に至るまで成立に至っていません。その代わりに、本弁法、そしてその親法たる「ネットワーク安全法」に代表されるように、「中国のネットワーク上の安全保障」の見地からの法整備が優先的に進められています。つまり、個人の人権保護よりも国家の安全を重視する見地からの法整備が進められているのが中国の現状と評価できます。


(2) サイバー主権

なお、ここでの「中国のネットワーク上の安全保障」を語る上で非常に重要な概念があります。それは早くも2014年ころから提唱されている「サイバー主権(中文:网络(空间)主权)」という概念であり、サイバー空間にも独立権、自衛権等を含む国家主権が存在するという考えです。ここで、サイバー空間は地理的な領土を超えて存在しうることからすれば、この概念は中国が自己のサイバー主権が及ぶと判断する限り、物理的国境を越えて中国の法律・法規が及ぶことを意味する(言い換えれば、自己のサイバー主権が及ぶ限りにおいては、中国の法律の適用は域外適用ですらなく、純粋な国内法上の問題となる、という)ことになります。

このようなサイバー主権の考え方からすれば、「ネットワーク安全法」のような「中国のネットワーク上の安全保障」の見地からの法整備が先行している現状は、中国にとってはむしろ必然的な流れであり、かつ、中国の近時のインターネット戦略とも軌を一にするものということがおのずから明らかになるのではないかと考えます。


2 安全審査制度は、米中貿易戦争の産物か?


一部のメディアの報道の中には、本弁法は、近時激化した米中貿易戦争の中で、外国製品の輸入を制限することを視野に入れた規定である、との趣旨とも解しうる論調が見受けられます。

しかしながら、安全審査制度自体は、米中貿易戦争が顕在化する前の2017年6月1日施行の「ネットワーク製品及びサービス安全審査弁法(試行)」(本弁法の施行により廃止。本弁法第22条)において(実効性は別にして)制度上は既に存在しており、決して米中貿易戦争を踏まえて成立した制度ではありません。

私が思うに、安全審査制度それ自体は、上記で述べた中国のサイバー主権に基づく安全保障というサイバー政策から必然的に導かれるものであるというべきであり、世上懸念される外国製品排除についても、これまでの長年にわたる中国の対応からすれば全く不自然な事象ではなく、米中貿易戦争の有無とは関係ないと考えています。


3 本弁法における中国の「迷い」


しかしながら、本弁法それ自体の制定過程を見れば、中国が米中貿易戦争の顕在化の中で、外国(なかんずく米国)を刺激しないよう配慮しているかのような状況を看取することができます。

実は、本弁法はその制定に先立ち、2019年5月24日にパブコメ稿が提出されています。つまり、当該パブコメ稿は、2018年10月4日に米国のペンス副大統領がハドソン研究所で行った中国批判の演説の記憶がまだ生々しい時期に起草されたといってよく、当時の政治的事情を反映したと思しき規定がいくつか存在していました。具体的には、次のとおりです。

i) パブコメ稿第6条

基幹情報インフラ運営者がネットワーク安全審査を申し立てる状況が具体的に掲げられており、その事由の中に「大量に個人情報及び重要なデータが漏洩し、喪失し、毀損し、又は国外移動(中文:出境)すること。」及び「基幹情報インフラ運行の維持・保護、技術サポート、アップデート・更新・交換・モデルチェンジがサプライチェーンの安全の脅威に直面すること。」が存在していた。


ii) パブコメ稿第10条

ネットワーク安全審査における主要な考慮要素として、「大量の個人情報及び重要データの漏洩、喪失、毀損又は国外移動等がもたらされる可能性」、及び「製品及びサービスの制御可能性、透明性及びサプライチェーンの安全(政治、外交貿易等の非技術的要素により製品及びサービスの供給の中断がもたらされる可能性を含む。)」が明記されていた。


しかしながら、実際に成立した本弁法には、「製品及びサービスの制御可能性、透明性及びサプライチェーンの安全(政治、外交貿易等の非技術的要素により製品及びサービスの供給の中断がもたらされる可能性を含む。)」の点を除き(ただし、文言は変更されています。)、これらの規定が明文化されておらず、草案に見られたアグレッシブさが後退した印象を受けます。この点、「存在しないこと」は、「これらの要素を考慮しなくてもよい」という意味ではなく、具体的列挙がなされるよりも広い裁量の余地が与えられたという解釈も可能であり、実際の運用もそうなのだと思います。

ただ、その一方で、明文で記載することを必要最小限にとどめている点、(当然中国がそれを認めることはないにせよ、)明文化することによる外国からの非難を回避しようとした(その意味で、外国に対して一定の配慮を示した)のではないか、という考えも、決して深読みではないように思われます(なお、データの国外移動については別途規定を制定する意向があるかもしれず、この点は今後の動向を注視する必要があります。)。

その意味において、私にとっては、本弁法は、中国における「ホンネ」と「タテマエ」との間の「迷い」が見て取れるように思えてならないのです。


4 発出時期―「両会」の「勝利的成功」を目指して?


また、本弁法の発出時期についても注目されます。本年4月13日は、武漢のロックアウトが解除された4月8日の直後といってよい時期であり、まさに経済的な回復が緒についた時期であり、本弁法の発布は一時期停滞していた中国のサイバー政策の復活の「のろし」ともいえるように思います。

また、新型コロナウイルス感染症の流行の中で開催が延期されていた「両会」(全人代及び全国政治協商会議)が5月22日に開催されることが決まったものの、政治的なアピール材料に乏しい状況にあり(今のところ、「コロナウイルスへの勝利」及び「貧困層の救済(中文:扶贫)」が大きな材料ですが、後者については、近時習近平総書記が急遽地方への考察を再開させた経緯があります。)、その中で決してインパクトが大きいわけではありませんが、本弁法もサイバー政策に関連するトピックとして「両会」の中で意味を有することになるかもしれません。

このような見方は、いささか深読みが過ぎるかもしれません。しかしながら、私の経験上、中国政府の行動は、その1つ1つが政治的意味を有するという前提で見ておいた方がよりリアリティを伴って理解できると考えています。そして、最も近時の政治的ビッグイベントが「両会」である以上、その「勝利的成功」の構成要素としてみておいたほうが良い、というのが経験上の偽らざる感覚です。

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